私は(一応)トールキン・ソサエティの会員です。会員になると機関紙「アモン・ヘン」が毎月、それとジャーナル「Mallorn」が年に二回送られてきます。どちらもぱらぱらと目を通すぐらいでじっくり読んだりすることは稀(^^;)なのですが、今回の「Mallorn」になかなか面白い記事がのっていたので、少しまとめてみます。記事寄稿者はトールキン研究では大層有名なトム・シッピー氏。内容は2009年に出版された下記トールキン研究本『The Epic Realm of Tolkien - Part One - Beren and Luthien』に対するレビュー、あるいは痛烈な批評またはお叱りです。
この本ではシルマリルからHoMeに掲載されているベレンとルーシアンの物語のソース・マテリアル、つまり教授流に言うとスープの出汁の元各種を取り上げ、それぞれを掘り下げてみたもののようです。アーサー王伝説との関わりがあるものが軸となっています。
例えば
マギノギオン 「キルッフとオルウェン」(初期アーサー伝説として)
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルツィヴァール」
中世詩 「かっこうとナイチンゲール」
(http://www.everypoet.com/archive/poetry/Geoffrey_Chaucer/chaucer_poems_THE_CUCKOO_AND_THE_NIGHTINGALE.html)
モンマスのジョフリーによる「ブリテン王列伝」
などなど。
また、ベレンとルーシエンの物語の中に見受けられる具体的なアイテムとして、
初期のベレンとルーシエンの物語に登場する猫のプリンス、テヴィルド(Tevildo)のモデルとして ウェールズの民話に出てくる悪魔の猫 キャスパリーグ
カルカラス(Karkaras)のモデルとして、マギノギオンのトゥルフ・トルイス (大イノシシ狩りの話)
が挙げられ、上記の二つのアイテムに関してはシッピ―氏も「ソースとしてもっともらしい」と認めています。
ですが、確かに類似点はあるもののトールキンがソースとしたかどうかは疑わしいとシッピー氏が指摘するものも多々あるようです。
一つには中世詩の「かっこうとナイチンゲール」。シッピ―氏によると、トールキンがこの詩を知っていたことは勿論ありうるが、それよりも古い「フクロウとナイチンゲール」の詩により強い興味を抱いていたと反論しています。「フクロウとナイチンゲイール」は、オックスフォードのシラバスにもある作品だし、さらには「フクロウとナイチンゲール」の作者とされるNicholas Guildfordの名を、トールキンは『Notion Club Papers』の登場人物に拝借しているではないか!と大反撃。そして前者のナイチンゲールは真の愛と精神の向上を表すのに対し、後者は不義と不貞を表しているといったところで矛盾が見られる。よって、前者からのみナイチンゲールの解釈を引き出そうとするのは無理があるというわけです。
また、エッシェンバッハのパルツィヴァールに関しても、探求の対象といった意味合いで聖杯とシルマリルを同等視する論説が展開されるのですが、それに対しても、シッピー氏はドイツの聖杯伝説にトールキン教授が興味を示さなかったわけではないが、それは北欧の伝説となんらかの関連を持つ場合に限ると主張します。
さらに、モンマスのジョフリーによる「ブリテン王列伝」にも初期のアーサー王伝説の要素が数多く含まれています。そこでトールキンは「失われた物語(Lost tales 1、2)で、ブリテン王列伝が書かれた当時の元ネタであるイングランドのアーサー王伝説を再構築しようとしたのだろうという仮説が打ち立てられています。これもシッピ―氏は、著者の「ブリテン王列伝」の解釈(一部のラテン語の解釈)に誤りがあるとして退けています。
全体的に手厳しい内容となっていて、間違いを指摘するだけではなく「似たものを並べただけじゃくそつまらん! そっから先になにもないなのか!!」とドカドカしている様子が目に浮かぶようでした。トールキン研究本もこれまでに(海外では)多数出版され、新しい切り口を見つけるのが難しくなってきているのかもしれませんね。
The Epic Realm of Tolkien - Part One - Beren and Luthien
Alex Lewis (Author), Elizabeth Currie (Author)
(http://www.tolkienlibrary.com/press/903-Epic_Realm_of_Tolkien.php)
# by cardiff_saito | 2010-05-28 14:56
さてエッセイの評価が返ってきました。こんな感じです。
Relevance to question 5
Detailed evidence 5
Use of evidence 4
Bibliography 5
References in text 5
Style 3
Presentation 5
5:優秀 4:良 3:平均 2:向上を求む 1:チューター(先生)に相談すること
全体的には良い…のかな?やっほう!ありがとうございます、Fimi先生!
しかし、やはり文法的な部分(Style 評価は3)はかなり問題があったようで反省することしきりです。
返ってきたエッセイのワードファイルには履歴がついていて、細かい文法、用法の間違いを修正してくださっていました。なんともありがたいです。私はどうも冠詞や名詞の用法がなっていないようです(汗)。
エッセイの内容は、エリオルの枠組み物語と、アングロサクソン年代記、ブリテン王列伝を照らし合わせ、トールキンがどれほど言語学以外の分野の歴史的マテリアルを考慮していたかを探りながら、Lost Talesの欠点を明らかにするものです。
アングロサクソン年代記、ブリテン王列伝との共通点をいくつか挙げようとしたのですが、数箇所、論拠が弱い所があったようです。共通点ではなく相違点も指摘したのですが、むしろそれが良いと誉めてもらえました。
どういった相違点かというと、アングロサクソン年代記、ブリテン王列伝どちらにも、アングロサクソン民族とブリテン島にもといた民族(主にウェールズ人)との闘争が繰り返し描かれています。しかし、トールキンの枠組み物語ではそうした闘争は描かれていない点です。むしろ、アングロサクソン族のエリオルと島民、つまりエルフとの友好関係が強調されています。しかし、それではブリテン島の歴史におけるアングロサクソン族以前の先住民の存在をまったく考慮していないことになります。
こうした事もおそらくはエリオルの枠組み物語を使ったLost Talesが挫折した要因の一つではないか?と私は結論付けたわけです。
まあ、トールキン初期作品のあらさがしみたいになってしまったのですが、Fimi先生には受けた?ようでほっと一安心です。
というわけで、内容は多く期間は短いオンライン講座も無事終了いたしました。よかったよかった。せっかく講座を受講したのだから、忘れてしまわないうちに書き留めておこうと始めたこのブログもここで筆を置かせていただきます。このブログが、なんらかの機会にトールキン愛好者の方々のお目に止まり、また読んでいただける事がありましたら幸いです。
もしご質問等があるようでしたらzva10535★nifty.ne.jpまでメール下さい(★は@に変換してください)。
では!
# by cardiff_saito | 2008-05-13 20:10 |
エッセイ
A Mythology for Anglo-Saxon England
Michael D.C. Drout
大変難しい論文なのですが、一所懸命読めば(笑)とても面白い論文です。十分理解出来ているかどうか自信がないのですが、とりあえずまとめます。
Lost Talesに出てくるエリオルの枠組みの物語から論文は始まります。
エリオルにはヘンギスト(Hengest)、ホルサ(Horsa)、ヘレンダ(Heorrenda)の三人の息子がいます。実はこのうちの二人は、イングランドの歴史に深くかかわる伝説上の人物と同じ名前なのです。
アングロサクソン年代記によると、この二人はユトランド半島に住むジュート族に属し、当時ローマの支配と保護が無くなったブリテン島を悩ませたピクト族に対する傭兵としてボルティゲルン王に招かれてやってきました。この二人の後にジュート族、また引き続いて他のサクソン系の民族がブリテン島に移住し、元の住民と戦いを繰り返し、やがて彼等の国を建国します。ジュート族はゲルマン系に属します。
この二人は、ブリテン島においてアングロサクソン族の移住に非常に重要な役割を果たした人物だという事になります。
このジュート族が、ベーオウルフの属するイェーアト(Geatas)族ではないかという説があります。
ラテン語で書かれたベーダのイングランド教会史によると、Iutarumという言葉が出きます。このIutarumが英訳される際に、Geataと訳されている場合があります。
(Iutarumはどうやらジュート族を指すラテン語のようですが、ラテン語はよく分りません。一応ネットでも調べてみましたが、さっぱり@o@)おそらくこれがジュート族=イェーアト族の根拠となっているのでしょう。もっとも別の箇所では、IutarumをEoten、Ytenaと訳しています。古英語では、ジュート族をYteあるいはYtanとし、Geataとはなりません。トールキンもこの説を否定しています。むしろJuteとGeatasの混合、混乱が見られたのではないかとトールキンは「In Beowulf and the Critics」で指摘しています。
「ジュートがGeateであるという説は、古英語のベーオウルフが(英国の)国民的な叙事詩であるならば、彼はスウェーデン人であってはならないという理念を基盤として打ち立てられたものである。―中略―もしベーオウルフが国民的な叙事詩ならGautr族とジュート族の両方を含むものになるはずだ」
トールキンはリード大学にいた頃ベーオウルフに出てくるイェーアトをGoths、つまりゴート族と訳しています。ゴート族は古いゲルマン系の民族です。現在ではどうやら否定されていますが、この時代、トールキンはイェーアトをゴート(Goth)と解釈していたようです。また、ゴート族は19世紀から20世紀の学者の間では、騎馬民族とされていました。指輪物語の騎馬民族、ロヒリムの王の代々の名前にはゴート語の名前が多く見られます。
ここでヘレンダを説明しなければなりません。ヘレンダはエリオルの枠組み物語の中では、上記のヘンギスト、ホルサの異母兄弟です。ヘレンダはエリオルの後を継いでエリオルがエルフから聞いた話を書き綴ります。ヘレンダという名前は、アングロサクソン記等には出てきませんが、エクセター写本(Exeter Book)の中に詩人として登場します。
こうしたことから、Drout氏はLost Talesの中でトールキンが描いた理想のアングロサクソン人の歴史を下記のように推測しています。
エリオルが妖精の島(イングランド)へ漂流する。妖精(エルフ)達から神話を聞く。エリオルの息子、ヘンギスト、ホルサ、ヘレンダに率いられてジュート族が移住してくる。
ヘレンダは父から聞いたエルフの伝説を書き綴る。彼はまたベーオウルフの作者でもある。なぜなら、ベーオウルフの英雄はゴート族であり、ゴート族はアングロサクソンと同じくゲルマン系民族の一つであるからだ。
Drout氏はさらに言語学的な要素を用い、様々な論説によって上記の説を補足しています。
この論文を読むと、「ベーオウルフをイングランドの国民的な神話にしたかった」トールキンの願望がDrout氏の解説によって見えてくるようです。
つまり、トールキンはイングランドのアングロサクソン人の中にゴート族の血統を見出し、ベーオウルフをイングランドの正統な神話として帰属させたかったのです。その想いが指輪物語のローハンの民に強く反映されています。
実際、イェーアト族が何族なのかはっきりしていれば、あまり悩むことはなかったんでしょうね。トールキンがイェーアト族=ゴート族としたのは、当時の学会の意見を反映したものですが、トールキンはゴート語に非常に魅力を感じていたことも一因のようです。
# by cardiff_saito | 2008-05-07 22:12 |
エッセイ
Sandra Ballif Straubhaar
Myth, Late Roman History, Multiculturalism in Tolkien's Middle-Earth
トールキンの中つ国における神話、後期のローマの歴史、多文化主義
まず導入部でタキトゥスの「ゲルマニア」の中にあるゲルマン人の描写が引用され、当時のローマ人のゲルマン人に対する見方が紹介されます。
この「ゲルマニア」でタキトゥスが語るゲルマン人は、ゴンドールの人が語るローハンの人と共通した特徴があるのです。
「ゲルマニア」の中では、「ゲルマン人は、野性的で、青い目、赤っぽい髪、そして背が高い。また熱と乾きに弱く、寒さと餓えに耐える民族である」という記述があります。
指輪物語でファラミアもローハンの人々を「丈高い男達も、美しい女達も勇敢であり、金色の髪と、晴れやかな目を持ち、力も強い」と述べています。
R.C. Blockleyという人の論文によると、ローマ人と野蛮人(ゲルマン人を含む)との間でも結婚するケースがあったようなのですが、それが王族間の婚姻であった場合、しばしば不幸な結果を招じたそうです。しかし、そうした異民族間の婚姻は引き続き行われ、次第に受け入れられるようになったようです。
こうしたローマ帝国の市民と異民族の婚姻は、指輪物語にも反映されています。
まず、ゴンドールの王子ヴァラカールと北国人の王の娘、ヴィドゥマヴィとの結婚です。
この結婚は後に同族争いの元になった不幸な失敗例です。
成功例は、ファラミアとエオウィンの結婚です。彼等の結婚はヴァラカールとヴィドゥマヴィよりずっと後の事です。この点においても、ゴンドールはローマ帝国の歴史を反映しているといえるでしょう。
「ゲルマニア」の中でゲルマン人は野蛮人として見下される一方、その勇気や忠誠心が褒め称えられています。アラゴルンもローハンの民を誇り高い勇敢な民族と讃えています。(ここには、第8週で紹介された、18世紀のジャンジャック・ルソー「高貴な野蛮人」の思想が見られる気がします)
こうしたことから、高い文明を持つ種族(ヌメノール)の血に原初の力強さを有する北方人(ローハン)の血統、文化が混じることにより、より良い結果が生じるという多文化主義の思想が反映されていることが窺えるのです。
なるほどーー。
さて、ここから少しばかり自分の考察を書いてみます。
この論文を読みながら、トールキン神話の中の異種族間の結婚にどんなものがあったか、ぼんやりと思い浮かべてました。
例を挙げてみます。
アラゴルン―アルウェン
べレン―ルーシアン
トゥオル―イドリル
シンゴル―メリアン
これを見て何か感じませんか?
どれも上位とされる種族の女性が自身よりも下位の種族の男性と結ばれているのです。
日本で言う降嫁と似たような感じですね。東西を問わず、こうした婚姻の形は政略的によく見られるものだと思います。
ファラミアとエオウィンの結婚はこうした因習的な枠組みから外れるようにも見えますが、実のところそう単純ではないと思います。
二人の結婚はアラゴルンとアルウェンが結ばれた後に行われているからです。
つまり、二人が結婚した時にはファラミアはすでにゴンドールの主権をアラゴルンに譲り、アラゴルンがゴンドールの王として王国を統べていたことになります。
ファラミアはゴンドールの主権から退いているので、その地位は下りローハンの姫君との結婚もさほど身分違いではないのではないかと私は思います。
一方アラゴルンは薄れてしまったヌメノールの血筋にアルウェンを迎えることで、その子孫により濃いエルフの血を復活させます。
もともとヌメノールの血筋が尊ばれるのは、エルフの血が混じっていたからです。アラゴルンは二重の意味で古の王政を復活させているのです。
こうした事を考えれば、トールキンは諸手を上げて異種族間結婚を賞賛しているわけではないように思えます。
ファラミアとエオウィンの結婚は同等の身分同士の異種族結婚であり、身分が違うと思われる異種族間の結婚は、上位の女性と下位の男性という形に限られているのではないでしょうか?エルフの男性と人間の女性が結婚した例が果たしてあるでしょうか?
今では時代錯誤と言える古代の、特に母系を通じた高貴な血統への憧れが、意識的にせよ無意識的にせよトールキンの作品の中にあるような気がしてならないのです。
そして、こうした憧れはいわゆる「人種差別」、や「性差別」とはまた質が異なるものだと私は思います。むしろそれはかつてあった黄金の日々への憧憬でありノスタルジーなのではないでしょうか。
もう一つDrout氏の論文を紹介したいと思いますが、それはまた連休開けにでも…。
# by cardiff_saito | 2008-05-01 20:15 |
エッセイ
Marjorie J. Burns
Norse and Christian Gods:(北欧の神とキリスト教の神)
トールキンが北欧神話の世界に影響を受けていることは第3週にも出てきました。
アイスランドの神話であるエッダ、特にスノッリ・ストルトンが編纂した「散文エッダ」はしばしば書簡にも登場し、トールキンが好んでいたことが分ります。
アイスランド神話には多くの神々が登場します。そうした神々は一神教であるキリスト教からすれば異教の神々であり、信仰することは好ましくありません。
そこでクリスチャンであるスノッリはエッダを読む読者に「北欧神話を尊敬を持って読んで欲しいが、信仰はしないでほしい」と忠告しています。
そして、北欧神話の信仰に対して距離を置くために、「ギュルヴィたぶらかし」という枠組みを導入しています。つまり、ギュルヴィが三人の神から世界の創造やその他の神話を聞くといった枠組みの中で神話を伝えているのです。
トールキンは同じ形の枠組みを初期の「Lost Tales」の中で使用しています。
つまり船乗りのエリオルがトル・エレッセアにたどり着き、エルフ達から古代の神話を聞くという枠組みです。
エリオルがエルフ達から聞く物語は「シルマリルの物語」のアイヌリンダレや、クウェンタ・シルマリルリオンの原型と言えるものです。
これらの物語にはイルーヴァタールによる世界の創造、ヴァラールのアルダ降臨などが含まれるのですが、このヴァラールが北欧神話の神々と非常に良く似た性格を持っています。
北欧神話の神々は、いわゆる荒ぶる原初の神々であり、暴力的で背徳的ですらあり、キリスト教の教義とまったく相反する性質を持っています。こうした特徴はトールキンのヴァラールにも幾分か窺うことができます。Lost Talesの頃のヴァラとヴァリエアは夫婦であり、子供をもうけたりします。またニエンナは「死者の館(House of Dead)」を司る死の女神Fuiという名を持ち、北欧神話のヘルと良く似た性格を有していました。
しかし、こうした初期の特徴は年月を経て「Lost Tales」にさまざまな改変がなされるうちに、ゆっくりと変化していきます。初期の執筆においてヴァラールはしばしばGodと表されているのですが、後期になるとGが大文字ではなく小文字で表されるようになります(*)。さらには、「Holy Ones」と書かれることが多くなりました。「フィオンウェ」はマンウェ夫妻の息子ではなく、マイアの「エオンウェ」となります。そうした変化に伴って、メルコールはより明確に悪の要素を一身に負うようになります。こうしてキリスト教的な善悪が二分された世界が神話の中でも構築され、古代の異教的な世界がキリスト教の世界観の中に組み込まれるようになったのです。
*Godとgodがどう違うのか
例えば、
the Almighty God 全能の神.
the Lord God 主なる神.
God the Father, the Son and the Holy Ghost 父(なる神)と子(なるキリスト)と聖霊, 三位一体.
ですが、
godは、
the gods of Greece and Rome ギリシャ・ローマの神々.
the god of the underworld 冥界(めいかい)の神.
という感じで、Gが小文字になるとなんとなく存在が小さくなるんですね。
# by cardiff_saito | 2008-04-30 20:16 |
エッセイ